2012年、英仏海峡のジャージー島で発見された驚異の財宝「Le Câtillon II(ル・カティヨン2世)」。
出土されたのは、およそ7万枚の古代コインをはじめ、11個の金のトルク(首飾り)、その他さまざまな装飾品です。
これら北フランスのものらしき品々が、かつては無人島だったと思われていたジャージー島から見つかりました。
そして2023年3月、ジャージー島で新たにケルト人集落の遺跡が確認されたことが発表されました。
これは、大量の古代コイン等が発掘された謎を解き明かす鍵となるかもしれません。
今回は、一体なぜ7万枚もの古代ケルトコインがジャージー島で発見されたのか?コインの概要と共に解説していきます!
参考サイト:
https://www.theguardian.com/science/2025/mar/11/mystery-iron-age-hoard-jersey-solved
https://www.thehistoryblog.com/archives/date/2025/03/16
監修者 葉山満
- 2012年にジャージー島で古代ケルトコイン7万枚や金の首飾りなどが発見された
- 2025年3月にはあらたにその場所に集落がある痕跡が見られた
- フランス北部から航海の難しいジャージー島へなぜ貴重品が運ばれたのか疑問に持たれている
- ケルト人は航海技術が優れていたため大切なものをあえてジャージー島に隠していた!
目次
大量の古代ケルトコインが発見されたジャージー島で新発見!
まずは、ジャージー島で発見された古代ケルトコインの概要と、一体どのような新発見があったのかを解説します。
- 2012年に英仏間の海峡にあるジャージー島で古代ケルトコイン7万枚などが発見された
- 2025年3月には同じ場所にケルト人集落があった痕跡が新たに確認された
2025年3月、イギリス発の海洋古代専門誌『Wreckwatch』が、地中探索によって新たに紀元前1世紀頃のケルト人集落の遺跡を確認したと発表しました。
これは、2012年に英仏間の海峡にあるチャネル諸島のジャージー島で発見された「Le Câtillon II(ル・カティヨン2世)」の探索によって確認されたものです。
ル・カティヨン2世は、「世界最大の鉄器時代の貨幣埋蔵物」と言われています。
なぜなら、首飾りや装飾品と共に7万枚もの古代コインが出土されたためです。
7万枚の古代ケルトコインがなぜジャージー島に?
なぜ、ケルト人の住むフランス北部から離れたジャージー島でこれだけの古代ケルトコインが見つかったのでしょうか。
- 古代ケルトコインの多くはフランス・ブルターニュ地方に住んでいたいたコリオソリタイ族のもの
- ジャージー島へ船で行くのは他の島よりも危険だからこそジャージー島が選ばれた可能性がある
- 古代ケルト人はジャージー島の丘を神聖な場所とし立地的にも霊的にもコインを守っていた
古代ケルトコインの概要
この古代コインの多くは、フランス・ブルターニュ地方のランス川流域に住んでいた「コリオソリタイ族」のものです。
紀元前55年頃、ユリウス・カエサル率いるローマ軍との戦いであるガリア戦争に備えて用意されたものとされています。
彼らコリオソリタイ族はこの莫大な財宝を船に積み、荒波に包まれたジャージー島まで運び、丘の上に埋めたのです。
ジャージー島に古代ケルトコインが大量にある謎
興味深いのが、ケルト貨幣の多くがジャージー島に集中していることです。
対照的に、隣接するガーンジー島では、戦士の埋葬跡や古代船の沈没跡などが発見されていますが、コインの埋蔵例はゼロ。
この違いは、ジャージー島周辺に危険な岩礁が多いという、地理的な違いに影響されている可能性があります。
安全な航海が困難なため、かえって秘密の保管場所としてジャージー島が選ばれたのかもしれません。
複数の考古学者は、ガリア戦争中に財宝がユリウス・カエサルのローマ軍の手に渡らないよう、急いで財宝をジャージー島へ移送させたのではないか、と考えています。
ケルト人は十分な航海技術を持っていた
危険な岩礁の多いジャージー島にコインを運ぶ、というのは非常に危険なイメージですが、ケルト人は非常に高度な航海技術と造船技術を持っていたとされています。
『Wreckwatch』編集長で350隻以上の沈没船を調査してきたショーン・キングズリー博士は、こう述べています。
「紀元前56年、カエサルがブルターニュに侵攻した頃には、ケルト人の海上貿易は既に熟練の域に達していた」
彼らは代々伝わる潮流や風、岩礁の位置、上陸地点の知識を持ち、皮革製の軽量船に帆・舵・18本のオールを装備して航行していたと考えられています。
こうした柔軟で耐久性のある船の構造は、ジャージー島のような荒波の海岸にも適していたのです。
新発見によりケルト人集落があったことがわかる

引用元:The Guardian
今回の探索では、磁気探索により長さ数十メートルに渡って平行や垂直に交差する構造が見つかりました。
こういった交差する区画は、鉄器時代後期のフランス北部にあったケルト農村の配置と酷似しています。
考古学者エルヴェ・デュヴァル=ガティニョル博士は、「これはアモリカ(古代のブルターニュ地方)で知られるケルト農村型の囲い地と一致する可能性がある」と語ります。
また、微弱な磁気異常により建物の柱穴や貯蔵ピットの跡も確認され、短期滞在者ではなく、定住者が存在した可能性を強く示しています。
霊的にも守られていた古代ケルトコイン
この財宝が埋められた丘の上には新石器時代の巨石墓(ドルメン)が存在していました。
ケルト人はドルメンのような太古の建造物を非常に大切にしており、ドルメンのある“聖成地”に大切なものを埋めることで霊的にも、大切なものを守ろうとしていたそうです。
自然の防御に加え、宗教的意味を重ねることで、彼らの宝を完璧に守ろうとしたのかもしれません。
時代を越えて埋められた財宝は、現代の私たちにまだ多くの謎を投げかけています。
監修者 葉山満
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まとめ
ジャージー島で2012年に発掘された7万枚もの古代コイン。
2025年には新たに、ケルトの集落があった痕跡も確認されました。
ジャージー島は他の島よりもアクセスが悪く、危険な航海を要します。
しかし十分な航海技術を持っていたケルト人は、あえてその危険な場所に大切なものを保管することを選びました。
そういった経緯があり、2000年もの間地中に眠っていた古代ケルトコイン。
古代コインは鋳造についての背景だけでなく、発見された場所にあった理由などにも思いをはせることができます。
- 2012年にジャージー島で古代ケルトコイン7万枚や金の首飾りなどが発見された
- 2025年3月にはあらたにその場所に集落がある痕跡が見られた
- フランス北部から航海の難しいジャージー島へなぜ貴重品が運ばれたのか疑問に持たれている
- ケルト人は航海技術が優れていたため大切なものをあえてジャージー島に隠していた!