日本の珍しい古銭3選

日本での貨幣の始まりについての少しおさらいしましょう!

飛鳥時代(574年~708年)

日本での貨幣の歴史が始まる

574年は聖徳太子が生まれた。

683年に日本最初の貨幣「富本銭(ふほんせん)」が鋳造

中国の貨幣「開元通宝(かいげんつうほう)」を手本にして作られた。

富本というのは「国や民を富ませる元(もと)」という意味がある。

1999年に奈良県で富本銭が出土したことにより、それまで最初の古銭と言われていた「和同開珎(わどうかいちん)」よりも富本銭の方が昔から存在したことが明らかになった。

 

安土桃山時代(1575年~1603年)

1587年頃から豊臣秀吉が金貨・銀貨を造り始める

世界で一番大きいといわれる長さ17.5cmの「天正長大判(てんしょうながおおばん)」などが、鋳造される。

江戸時代(1603年~1868年)

徳川家康が日本初の全国共通の金貨・銀貨を作成

「寛永通宝(かんえいつうほう)」といわれる銅貨を造り、金・銀・銅の3種類が揃ったことで、三貨制度(さんかせいど)が制定される。

資産運用や、投資といった意味では世界的市場を見てもほとんどが海外のコインですが、日本の古銭も歴史が深いですね。

では、そんな日本の古銭の中から珍しい古銭を3つご紹介します。

日本最古の古銭 富本銭(ふほんせん)

富本銭とは、真ん中に穴が空いた形をした日本最古の貨幣で、表側に「富本」の文字と七曜星の模様(7つの点からなる模様)があり、裏側は文字が無く、四角い穴枠だけしかない銅貨です。

富本銭は、江戸時代からその存在が認知されており、当時の貨幣コレクターがコレクションにしていたそうです。

当時の貨幣カタログである『和漢古今泉貨鑑』(元禄7年刊)にも図柄付きで掲載されています。

今となっては、アンティークコイン市場がまだまだ確立されていない日本ですが、日本の古銭の世界ではこんなに昔からコレクターが存在し、コインカタログまであったんですね。

 
出典:「和漢古今泉貨鑑」(元禄7年刊)

1999年、飛鳥京跡の飛鳥池遺跡から富本銭が33点も発掘されました。

しかし、発掘された古銭のほとんどが割れた状態で、完成系のものは少なかったそうです。

飛鳥池遺跡は、本格的な貨幣鋳造工房であることが判明し、富本銭は、現在確認されている日本最古の貨幣ということになります。

富本銭は、日本最古の貨幣と決まったわけではないですが、現時点では日本最古の古銭です。

残存数が少ないため、どれほど流通していたのかは不明で、未だに多くの謎を秘めた貨幣です。

今後、公的機関による発掘が進めば、発掘例も少しずつ増えるかもしれませんが、まだまだ謎の多いこの富本銭。
殆どは市場に出ることはなく、博物館などに展示されるのではないかと僕は考えます。

形が珍しい古銭 慶長豆板銀(けいちょうまめいたぎん)

慶長豆板銀(けいちょうまめいたぎん)はなんとも言えない歪な形をしています。
慶長豆板銀写真

豆板銀は円形をしたものが多く、今の貨幣に近い形をしているのですが、慶長豆板銀はひょうたんのような形やスライムのような形をしています。

慶長豆板銀写真2

今僕が見たら何かの置物かな?と思うくらいお金の形をしていません。

豆板銀は「計数貨幣」ではなく、重さで取引する「秤量貨幣」です!

秤量貨幣
交換に際して、品位や重さを量って用いる硬貨のこと。

加工する必要がないため、鋳造技術が発達していない時代でよく採用されていた。

豊臣秀吉の命により造られた金貨 天正菱大判(てんしょうひしおおばん)

天正菱大判は刀装具彫物の名門、京都・後藤家の直系、徳乗と祐徳が、豊臣秀吉の命で制作した金貨です。

天正菱大判

天正菱大判の年号には、天正十六(1588年)、天正十七(1589年)、天正十九(1591年)と書かれたものがあるとされますが、東京国立博物館所蔵のものなどを含め、存在が確認されているのは僅か6枚しかありません!

世界中で僅か6枚、その殆どが博物館にあるので、幻の金貨となってしまいました。

天正菱大判は貨幣として流通させるためのものではなく、家臣への褒美や、朝廷や公家への贈答用として作られたものです。

このため生産数は少なく、存在が確認されているのは博物館に収蔵されている5枚だけ。

正真正銘の「お宝古銭」なんです。

しかし、2015年5月22日にスイスのオークションで幻の6枚目が出品されました!

落札結果は1億4300万円です。